築城年代は定かではない。鎌倉時代末期には陶器左衛門尉の居城で、元弘3年・正慶2年(1333年)楠木正成の一族によって攻め滅ぼされた。
正平6年・観応2年(1351年)には南朝方の和田助氏と助重が北朝方の籠もる陶器城を攻めている。
陶器城は東陶器小学校の南側にある東陶器公園付近に築かれている。 公園の南側にフェンスで囲まれた土地があり、この中に土塁などの遺構が良好に残っていると案内板には書いてあるが、残念ながらフェンスの内部に入ることができず、どれほどの遺構が残っているのか確認できない。
この陶器城は日本城郭大系「337 北村砦」として紹介されていてる地点の陶器城であるが、案内板の解説などは「343 陶器城」として記載されているものと同様である。後者の陶器城は堺市田園にあったといい、現在は宅地となって消滅したという。