享保12年(1727年)渡辺基綱によって築かれた。 伯太藩渡辺氏は徳川家康に仕えて「槍の半蔵」の異名をとった渡辺守綱の五男吉綱を初代とする。 宗家は尾張藩家老の渡辺家で守綱没後、四男治綱が家督を継いで尾張国寺部に陣屋を構えている。伯太藩渡辺氏は五男吉綱が寛永元年(1624年)早世した兄忠綱の旧領三千石と新田五百二十石を合わせ、三千五百二十石の旗本として始まった。
寛文元年(1661年)渡辺吉綱は大坂定番となって一万石を加増され、一万三千五百二十石を領して諸侯に列した。当初武蔵国比企郡野本に陣屋を構えていたが、元禄11年(1698年)三代渡辺基綱のき領地を近江国へ移されたので、和泉国大鳥郡大庭寺へ、さらに享保12年(1727年)陣屋を和泉国泉郡伯太へ移し伯太藩となった。
伯太陣屋は天理教泉信分教会の南側の交差点に面した空き地に石碑が建っている。
裏門(移築 城門)