築城年代は定かではないが文明年間(1469年〜1487年)鈴木重時によって築かれたと云われる。
鈴木氏は賀茂郡一帯を勢力に治めて松平氏に対抗したが、永禄9年(1566年)織田信長の家臣佐久間信盛に攻められ落城し、鈴木重教は矢並城へ逃れ、後に今川氏を頼って駿河へ落ちた。
江戸時代に入ると尾張藩付家老となった渡辺守綱の居城となり、以後明治まで渡辺氏が続いた。
守綱神社とその北にある公園が城址で、公園の所に案内板が建ち、公園には建物の礎石部分を枠で囲んでどんな建物があったかを表記している。
西側の土塁が鈴木氏時代の土塁とのことである。