築城年代は定かではない。伊保城と呼ばれる城がこのあたりには4つあり、伊保西古城、伊保東古城、伊保古城、伊保城で、最後の伊保城以外は中世の城とされる。
このあたりにははじめ三宅氏が居たが、松平氏との戦いに敗れて広瀬に退き、その後松平と織田氏の同盟によってこのあたりは織田領となっていた。
伊保西古城は豊田市教職員会館の西側にある比高30mほどの丘陵に築かれており、現在は公園として整備されている。
山頂の主郭は南北に長く、南東隅に虎口とされる一段低い空間がある。南下は大きな横堀となり、西から北にかけて帯曲輪として続いているようである。
豊田市教職員会館の駐車場を利用した。公園に入る遊歩道は南東側からついている。
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