慶長5年(1600年)丹羽氏次によって築かれた。
伊保藩丹羽氏は尾張国丹羽郡丹羽庄発祥で丹羽氏勝が岩崎城主であった。氏勝の嫡男氏次は織田信雄に仕えていたが換気を被って徳川家康に仕えるようになっていた。
氏次は関ケ原合戦の功によって一万石に加増となり伊保藩を立藩したが、翌慶長6年(1601年)に没した。家督を継いだ氏信は寛永15年(1638年)岩村藩二万石に加増転封となり伊保藩は廃藩となった。この丹羽家は播磨三草藩として明治まで続いている。
天和元年(1681年)本多忠晴が陸奥国浅川藩から一万石で転封となり伊保藩となった。宝永2年(1705年)五千石を加増され一万五千石、宝永7年(1710年)領地替えによって相良に陣屋を移したため廃藩となった。この本多家は陸奥国泉藩として明治まで続いている。
伊保城は豊田市教職員会館の東側一帯で現在は宅地や畑になっている。
遺構はわかりづらいが、南北二段の平地があり、上の段が主郭となる。主郭部分は北側にL字の土塁が残り、その北側は未確認だが堀状になっているようである。
下の段の南面には長さ10mほど、上下二段になった石垣が残されているが、近所の方に見せて頂いたが鬱蒼とした竹藪に覆われ、石垣はまったく見えなかった。
豊田市教職員会館の駐車場が利用できる。
最寄り駅(直線距離)