天文7年(1538年)丹羽氏清によって築かれた。 織田信長と徳川家康が同盟を結ぶと、丹羽氏は織田信長と結び、信長死後は徳川家康と結んだ。
天正12年(1543年)小牧・長久手合戦では当主丹羽氏次は家康の本陣である小牧山城へおもむき、岩崎城は弟の丹羽氏重が守った。 膠着状態となった合戦の裏で、秀吉の部将池田恒興が一軍を率いて岩崎城下を抜けて家康の本城である三河国岡崎城を目指して進むと、氏重は城兵三百余人でこれを迎え撃ち玉砕した。
公園として模擬天守が建てられる前には遺構が良く残っていたらしいのだが、現在は模擬天守と博物館が建てられ公園となっている。ただ、今でも博物館の奥には土橋が架かり空堀と土塁が残って遊歩道が設けられている。
天守(模擬 天守)
櫓門(模擬 櫓門)