築城年代は定かではない。伊保城と呼ばれる城がこのあたりには4つあり、伊保西古城、伊保東古城、伊保古城、伊保城で、最後の伊保城以外は中世の城とされる。
このあたりにははじめ三宅氏が居たが、松平氏との戦いに敗れて広瀬に退き、その後松平と織田氏の同盟によってこのあたりは織田領となっていた。
伊保東古城は現在の保見中学校の校庭東側に主郭があったがこの部分は消滅しており、学校西側の道路沿いに石碑が建っている。主郭から南へ伸びた丘陵が竹藪として残されており、このなかにかろうじて遺構が残されているようであるが、未確認である。