築城年代は定かではない。篠田藤五郎が長寛2年(1164年)に入部して以来、十七代貞英が永禄3年(1560年)に織田信長に攻められて滅亡するまで続いたという。
また一説に加納孫三郎が在城したという。
宮口城は逢妻女川に面した丘陵に築かれていたというが現在は宅地となって遺構は残っていない。かつては古井戸や五輪塔が残っていたというが現存しない。
付近には「藤五林」という字が残り篠田藤五郎にちなむものとされる。
県道520号線宮上6丁目交差点を北東方向に進んで行くと左側にコンビニがあるが、その先右側に案内板がたっている。
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