永正3年(1506年)松平弥三郎宗忠によって築かれたと云われる。 宗忠は松平宗家三代松平信光より分かれた長沢松平勝宗の子である。
松平氏が高橋荘攻略の為に築いたものとされ、浄願寺の境内には松平宗忠のものとされる墓が残るが、足助城主鈴木左京亮重政が一時ここを居城としたとの説もある。
古瀬間城は浄願寺の南にある丘陵に築かれている。現在は城址公園として整備されている。
古瀬間城は西へ張り出した尾根の先端頂部に築かれた単郭の城で、主郭の周囲に帯曲輪を巡らせ東の尾根は公園化する前には堀切状であったという。
東海環状線豊田松平icより国道301号線に入り西へ進むと浄願寺への道標がある。この浄願寺境内から公園に遊歩道がある。
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