築城年代は定かではない。 南北朝時代に飯盛城主足助氏が築いたとも云われ足助七屋敷の一つとされるが、発掘調査で出土した遺物ではこの時代のものは発見されていない。
明確な最初の城主は足助鈴木氏で三河鈴木氏の支族である。 足助鈴木氏は鈴木忠親・重政・重直・信重・康重と続いた。
鈴木重政は大永5年(1525年)松平清康によって攻められ降ったが、それ以降も離反・従属を繰り返している。元亀2年(1571年)武田信玄の西三河侵攻により真弓山城は落城し、城主鈴木重直は岡崎へ逃れた。これにより一時的に武田方の持城となったが武田信玄が病没すると徳川家康の軍勢が武田氏の軍勢を追い払い、再び鈴木重直が城主となった。
天正18年(1590年)小田原討伐の後、徳川家康が関東へ移封となると鈴木康重は家康に従って関東に移った。しかし、康重は関東での待遇に不満を抱いて直ぐに出奔したという。
足助城は足助川の南岸にある標高307mの真弓山山頂に築かれている。 発掘調査の後、高櫓・厩などが復元され足助城址公園として整備されている。
国道153号線から国道420号線に入り、足助中学校の先で道標に従って東の山道へ入って行くと山頂近くの公園入口に至る。
以下、訪問当時のものであり、変更されている可能性があります。
入場時間 | 午前9時-午後4時まで |
休館日 | 年末年始(12/28-1/4) |
料金 | 大人300円 高校生100円 |