築城年代は定かではない。 城主は梁瀬九郎左衛門あるいは太郎といい、天正2年(1574年)(元亀2年(1571年)か)武田氏に攻められ落城したという。足助屋敷の一つ。
浅谷城は神越川の北岸にあり、南西に伸びた尾根上に築かれている。
主郭は尾根の先端頂部にあり城山八幡が祀られている。南の尾根に堀切を設け、西の尾根に向かって数段の削平地と堀切を設けている。主郭の北東側に大堀切を挟んで一郭あり、狭い曲輪であるが北東側に土塁と堀切を設けている。
足助から山谷町地区に至ると十字路があり、それを南へ曲って山を少し降りると道を挟んで民家がある。左の民家の前で道は下と左奥に分かれるが、左奥の道へ進んで行く。すると尾根上で道が左へ大きくカーブすることとなるが、その辺りから尾根伝いに入る道がある。