築城年代は定かではないが、正慶元年(1332年)に楠木正成が赤坂城の出城として築いたとの伝承がある。
南北朝時代には楠正成の部将高向氏が籠もって北朝方と激しく争われた。
応仁の乱以後は守護畠山氏の持城となり、家臣も石川氏や甲斐庄氏などが務めた。甲斐庄氏は橘氏あるいは烏帽子形氏とも称し、甲斐庄正治はキリシタン大名であった。元亀年間(1570年〜1573年)に甲斐庄正治は徳川家康に召しだされて遠江の浜松へ移り烏帽子形城は廃城となったが、その子甲斐庄正房が旗本となり、河内の地理に詳しいことから大坂の陣で活躍、二千石を知行している。
天正12年(1584年)羽柴秀吉が紀州攻めにあたり、古城となっていた烏帽子形城を普請するように中村一氏に命じている。
烏帽子形城は石川と天見川が合流する地点の南西に聳える標高182mの山に築かれている。現在は烏帽子形公園として整備されており国指定史跡となっている。
烏帽子形城の曲輪は非常に狭く、最高所にある主郭Iと東下にある曲輪IIが主要な曲輪である。ともに南北に長く、これらを多重の堀で固めている。
三日市町駅の北西にある烏帽子形公園が城山で南側に公園の駐車場がある。
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