文久3年(1863年)永井直壮によって築かれた。
宮津藩七万三千六百石の大名であった永井氏は、四代尚長が四代将軍徳川家綱の法会で鳥羽城主内藤忠勝に刺殺された。このとき尚長に嗣子なく所領は没収されたが、尚長の弟直円が大和国新庄一万石の大名として家名存続が許された。
>文久3年(1863年)永井直壮のとき櫛羅に陣屋を移し櫛羅藩となったが、慶応元年(1865年)に没し、嫡男永井直哉が家督を相続すると明治まで続き廃藩置県を迎える。
櫛羅陣屋は葛城山から東へ派生した山の一つ、岸野山に築かれていたという。 遺構は残っているらしいが、現在は民有地となっていて確認できない。
櫛羅陣屋の建物は御所市楢原にある九品寺に玄関、櫛羅の民家に南門が移築現存している。この他、東門と御殿の一部が民家に移築されていたが、火災で焼失したという。
南門(移築 城門)
御殿の玄関(移築 その他)
県道30号線と県道213号線の櫛羅交差点を西へ曲がり、県道213号線沿いに登っていく。猿目橋のバス停から県道は北へ回り込んで上っていくが、その西側にある山が陣跡。
最寄り駅(直線距離)