掲載写真数
形態
陣屋(180m/-)
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
なし
城 主
永井直壮,永井直哉
歴 史
文久3年(1863年)永井直壮によって築かれた。
宮津藩七万三千六百石の大名であった永井氏は、四代尚長が四代将軍徳川家綱の法会で鳥羽城主内藤忠勝に刺殺された。このとき尚長に嗣子なく所領は没収されたが、尚長の弟直円が大和国新庄一万石の大名として家名存続が許された。
>文久3年(1863年)永井直壮のとき櫛羅に陣屋を移し櫛羅藩となったが、慶応元年(1865年)に没し、嫡男永井直哉が家督を相続すると明治まで続き廃藩置県を迎える。
説 明
櫛羅陣屋は葛城山から東へ派生した山の一つ、岸野山に築かれていたという。
遺構は残っているらしいが、現在は民有地となっていて確認できない。
櫛羅陣屋の建物は御所市楢原にある九品寺に玄関、櫛羅の民家に南門が移築現存している。この他、東門と御殿の一部が民家に移築されていたが、火災で焼失したという。
南門(移築 城門)
所在地: 民家(奈良県御所市櫛羅)
御殿の玄関(移築 その他)
所在地: 九品寺(奈良県御所市楢原)
案 内
県道30号線と県道213号線の櫛羅交差点を西へ曲がり、県道213号線沿いに登っていく。猿目橋のバス停から県道は北へ回り込んで上っていくが、その西側にある山が陣跡。
最寄り駅(直線距離)
2.2km 近鉄御所駅
2.3km 御所駅
2.6km 忍海駅
3.4km 近鉄新庄駅
3.7km 玉手駅
所在地/地図
奈良県御所市大字櫛羅
付近の城(直線距離)
1.1km
大和 楢原城(中城・前城)
1.2km 大和 楢原下城
1.2km
大和 楢原城(奥城)
2.2km 大和 吐田城(御所市)
2.2km 大和 吐田館
2.7km
大和 新庄城
2.9km
大和 布施城
3.0km 大和 勝福寺城
4.0km 大和 笛堂城
4.2km 大和 玉手山城
4.5km 大和 大口城
4.9km 大和 国見山城
5.3km 大和 巨勢山城
5.4km 大和 戸毛城
5.6km
大和 越智城
5.9km
大和 佐味城
6.0km 大和 上ノ山城
6.0km 大和 丹生谷城
6.1km 大和 曽羽城
6.2km 河内 平石城
6.4km 河内 国見山城
6.4km
大和 万歳平城
6.5km
大和 高田城
6.5km
大和 奉膳城
最終訪問日
2012年12月