詳細不明。
永禄10年(1567年)に畠山氏と根来衆が攻めた幸田城、あるいは木沢長政が築いたとされる琵琶尾城に比定する説がある。
佐味城は金剛山から東へ広がる尾根の一つに築かれている。 大和国に限らず全国的に見ても一風変わった縄張りを持つのがこの佐味城である。
佐味城は東へ広がった尾根を大きく削平して平段とし、その外側に横堀を巡らせて遮断している。内側は北西隅が一段小高い曲輪で、東から南に掛けて内堀を巡らせる。その外側は整然と区画された土塁囲みの土壇が並び、まるで大きな寺院に集合した坊のようである。西へやや離れた細尾根になる所に西の虎口があり、細い土橋に対して内側に土塁を設けている。
主郭と思われる北西隅の段は東西に長い長方形で西から南側は高い土塁があり、東側は塚状に点在して土塁が残っている。その外側、東から南に掛けて内堀があり、この内堀は堀を区画する土塁が設けてあり畝堀となっている。虎口は東中央と南にあり、空堀に対して土橋が架かっている。東虎口は、外郭の大手虎口である東虎口から一直線で通路が伸びており、全く無防備である。
県道261号線沿いにある鴨神のバス停が目印。このバス停脇から山側に入り、そのすぐ目の前にある畑に続くあぜ道を北へ入って行く。やがて林の奥に小屋(家?)が見えるが、この辺りから西の山上に登っていけば横堀に出る。(地図)
この小屋が見える所から左手前側に入ると山道があり、これが東虎口に通じているが、笹薮の中に埋もれているので登るときに見つけるのは難しい。山は管理された人工林で歩きやすいので簡単に登ることができる。
最寄り駅(直線距離)