天慶元年(1332年)楠木正成によって築かれたと云われる。
鎌倉幕府に対抗する後醍醐天王の呼びかけに応じて挙兵した楠木正成が籠城し、幕府の猛攻を尽く退け鎌倉幕府滅亡へと導いた。
千早城は金剛山から西へ派生した山の一角にあり、現在は千早神社の境内となっている。
主郭は千早神社拝殿の背後の山頂部であるが、「立ち入りご遠慮ください」の札があり見学するのは難しいようである。
城は戦国期まで利用されていたようで、堀切はないが曲輪の規模は大きく、先端の茶屋のあたりまで含めるとかなりの規模となる。
千早神社まで石段が続いている。金剛山への登山口でもあり、ハイカーなども多数いる。
参道入口付近に有料駐車場がたくさんある。
最寄り駅(直線距離)