紀伊 長藪城きい ながやぶじょう

城郭放浪記


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紀伊 長藪城の写真
掲載写真数
形態
山城(340m/140m)
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
土塁,郭,堀
城 主
牲川(贄川)氏
歴 史

築城年代は定かではないが文明年間(1469年〜1487年)に牲川(贄川)筑後守義春によって築かれたと云われる。

牲川氏(にえかわ)は義春の祖父牲川左衛門頼俊が楠木正成に仕えていたが、千早城落城によって十津川へ逃れ、義春のときに紀北へ復帰し長藪城を築いて居城としたという。

牲川氏は義春の後は義則、義次と続き、畿内に勢力を伸ばした織田氏に属した。しかし、その子義清のとき、天正13年(1585年)の羽柴秀吉による紀州攻めによって攻め落とされた。

説 明

長藪城は城山小学校の北方に聳える標高340m程の山に築かれており、河内や大和との国境に近い場所にある。

長藪城は東西二つの峰に西城と東城があり、さらに南西の先端の標高300.5mの峰に出城がある。

東の城は南北に長い曲輪の南西端に折れを伴う虎口があり、南西、南東、北東、北西の四つの尾根を堀切で遮断している。

西の城が主郭と思われ、北端の最高所に土塁が付いた主郭があり、南西に伸びる尾根に曲輪が伸びている。東の城へ続く東尾根は大堀切、北、北西、南尾根も堀切で遮断する。出丸のある南西へ続く尾根には竪堀が長く伸びる堀切を用いて遮断している。

出丸は西の城から南西に伸びた峰にあり、山頂部を中心に帯曲輪が巡っている。

案 内

整備された登山道ではないが、出丸、東の城、西の城と周遊することが可能。今回は西の城から回って出丸経由で降りている。

西の城への入口は水道施設の所(地図)で、付近に駐車することが可能。ここから尾根伝いに登っていくことができる。

出丸への入口は墓地の上にある(地図)。この墓地前の道は車では行くことができない。

最寄り駅(直線距離)
1.1km 林間田園都市駅
1.7km 紀見峠駅
2.5km 御幸辻駅
4.3km 下兵庫駅
4.3km 橋本駅
所在地/地図
和歌山県橋本市細川字堂垣内
付近の城(直線距離)
1.4km 紀伊 小峰寺
3.3km 紀伊 松山城
3.5km 紀伊 岩倉城
3.8km 紀伊 霜山城
4.7km 紀伊 東家館
5.1km 紀伊 銭坂城
6.5km 大和 岡西山城
7.0km 大和 五條代官所
7.2km 大和 二見城
7.3km 河内 大江時親邸
7.3km 河内 千早城
7.3km 大和 坂合部山城
7.4km 河内 石仏城
7.6km 紀伊 名古曽城
8.8km 河内 旗蔵城
9.1km 大和 居伝城
9.2km 河内 国見山城
9.2km 紀伊 岡城
9.7km 大和 佐味城
最終訪問日
2014年12月
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