築城年代は定かではないが越智氏によって築かれたと云われる。
天文15年(1546年)筒井順昭によって攻められて落城し、以後は筒井方の城となった。 天文18年(1549年)と弘治3年(1557年)に二度に渡って越智方が貝吹山城の奪還を試みたが、いずれも失敗した。
その後、大和に進出した松永久秀の城となったが、永禄9年(1566年)瓜田某の内通により越智氏の城となった。その後、永禄11年から翌12年にかけて松永久秀や久通などが貝吹山城を攻め永禄12年に松永方へ明け渡された。
貝吹山城は標高209.9mの貝吹山山頂に築かれている。
主郭は山頂にあり、櫓台状に一段小高い土壇を中心として北に一段、南に三段の曲輪を配している。西の越智氏の館へ通じる北西尾根側は、古墳を転用した曲輪があるが、どれも明瞭な城郭遺構ではなく、古墳の上部を削平する程度である。一方搦め手とされる東の尾根と現在の登山道がある南の尾根との間には、無数の平段が築かれている。この平段は帯曲輪程度のもので、両尾根の間に広がる谷間に幾重にも重ねて広がっている。尾根の東端部にはやや広い削平地があり、その先に小高い土壇が残っている。
貝吹山の南麓にある道路沿いに飛鳥病院があり、その東側に登山道の入口がある。入口には道標が出ており、駐車場はないが、南へ続く道に広い路肩があり駐車できる。(地図)
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