元和元年(1615年)織田信長の弟である織田有楽斎長益は大坂夏の陣を前に大坂城から退去すると、自身の所領のうち四男長政と五男尚長にそれぞれ一万石を分知して隠居した。 この長政を祖とするのが戒重藩(後の芝村藩)で、始め戒重陣屋を居城とした。
宝永元年(1704年)四代織田長清のとき、陣屋を戒重から岩田村(正徳3年(1713年)幕命により芝村に改名)へ移すため幕府の許可を得たが、完成したのは延享元年(1744年)のことで織田輔宜の代であった。以後芝村陣屋を居城として芝村藩となった。その後、代々織田氏が続き十一代織田長易のとき明治に至る。
芝村陣屋は現在の織田小学校一帯に築かれていた。 南側の正門脇に陣屋の案内板が建っている。小学校の南辺の石垣が陣屋のものだというが、コンクリートが流し込んであったり、後世の積み直しがあるのかもしれない。南西側付近は古い感じがする。北西側の弁天池が当時の堀跡という。
西にある慶田寺は織田氏の菩提寺で、山門は陣屋門を移築したものである。
南門(移築 城門)