築城年代は定かではないが八尾別当顕幸によって築かれたと云われる。 顕幸は当初北朝方として小山城の志貴右衛門などと対立していたが、正慶2年(1333年)頃には南朝方となり、八尾城は北朝方の城となった。
その後の動向は定かではないが、天正元年(1573年)若江城主であった三好義継が織田信長の家臣佐久間信盛によって攻められると、若江三人衆の裏切りもあり若江城は落城した。この三人衆の一人池田丹後守教正が信長から八尾城を与えられている。天正12年(1584年)小牧長久手合戦では池田恒興に従って参加しており、合戦後は家督を継いだ池田輝政に従って美濃国へ移り八尾城は廃城となった。
八尾城は現在の八尾神社から西の常光寺一帯に築かれていたと云われる。 遺構はないが八尾神社に石碑があるというが、見てくるのを忘れた。