河内国一之宮の枚岡神社の祀官を務めた水走氏の居館であるが、存続期間は不明である。建長4年(1252年)「藤原康高譲状写」によれば、五條の館は寝殿・廊・惣門・中門・土屋・厩屋・倉・雑舎を有していた。
水走氏館は現在の枚岡神社の南500m程の所に築かれていた。 水走は城郭大系では「みずはい」であるが、案内板には「みずはや」とルビが振られており、後者を採用している。
水走氏の墓塔は江戸時代の文化8年(1811年)水走飛騨守忠良によって建立された高さ3.18mの五輪塔で、水走忠道など八名の俗名や法名が刻まれているという。この墓碑の北側にある一帯が館跡であるが、現在は住宅地となっている。その部分の発掘調査で建物の柱穴、地泉跡、溝状遺構などが見つかったという。