久宝御坊 顕証寺を中心とした寺内町である。 古くは橘島久宝寺と呼ばれた地で慈願寺があったが、文明2年(1470年)に蓮如上人が布教し、後に顕証寺が建てられた。
顕証寺を中心として周囲に二重堀と土塀を巡らせた寺内町で、その運営は顕証寺住持を中心とした寺家役人衆によって行われたが、後に久宝寺城主の安井氏に委ねられた。 江戸時代に入ってからも安井氏が寺内町を支配したが、江戸時代中期頃にはその特性も失われた。
久宝寺寺内は近松山顕証寺を中心とする寺内町で、顕証寺の北側には東西南北に碁盤の目のようになった町割りが現在も残っている。