築城年代は定かではない。 福家氏は讃岐藤家として藤原資幸が福家・陶・畑田を分封され福家氏を名乗った。
平時の居館として福家館を構え要害として福家城を構えた。
福家城は福家館の北東に聳える標高304mの堂山に築かれている。堂山は北西から南東に掛けて大きく三つの峰が連なる山であるが、福家城は無線中継施設のある峰の北西、標高304mの峰に築かれている。
福家城は山頂にやや広い主郭があり、微妙な段があるが地形は不明瞭である。西側の山腹に横堀がありこの城の見所である。山腹の斜面には帯曲輪状の地形が確認できる。南東側の尾根下には浅い堀切が一条付いている。
登山道はいくつかある。今回利用したのはもっとも一般的な登山口で東側麓にある綱敷天満宮の南側に入口がある。西麓の福家側からは日抱神社から登山道がある。
最寄り駅(直線距離)