築城年代は定かではないが久利長門守によって築かれたと云われる。
戦国時代には香西氏に従っており、永正5年(1508年)には久利三郎四郎が香西氏に従って十河城を攻めている。天正10年(1582年)長宗我部元親が攻めてきたとき、伊勢の馬場の戦いで先陣をつとめたが討死した。
北岡城は堂山の東麓にある丘陵に築かれていたという。 現在は果樹園となっており遺構は良く分からないが、案内板と石碑が建っている。
綱敷天満神社から南へ続く車道を上り、堂山登山道入口を過ぎた先に東側へ降りていく道がある。この道の東側にある果樹園の中に案内板と石碑が建っている。
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