讃岐 百相城さぬき もまいじょう
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築城年代は定かではない。古くは河西氏が居たが、戦国時代頃には宗鹿氏の居館となっていた。
慶長年間(1596年〜1615年)には播磨三木城主別所長治の子別所長行が宗鹿氏の女を娶って百相城主となったが、関ヶ原合戦で討死したという。
百相城はカナン保育園の北東側一帯に築かれていたという。現在は宅地や田畑となっており遺構はないようである。ゴミ捨て場になっている所にブロック塀で囲まれて、その中に石碑がある。