近江 大岩山砦おうみ おおいわやまとりで

城郭放浪記


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近江 大岩山砦の写真
掲載写真数
形態
山城(280m/170m)
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
土塁,郭,堀
城 主
中川清秀
歴 史

天正11年(1583年)賤ヶ岳合戦で羽柴秀吉方の砦として築かれた。 城将は摂津国茨木城主中川清秀であった。

羽柴秀吉に降っていた長浜城主柴田勝豊の家臣山路正国は、秀吉方として堂木山砦に布陣していたが、密かに砦を抜けだして柴田方へと走った。これによって秀吉が賤ヶ岳の陣を抜けだして美濃の岐阜城主織田信孝を攻めにいったことが柴田方に知られることとなり、柴田方の武将佐久間盛政が賤ヶ岳の砦を急襲した。このとき盛政が急襲したのが大岩山砦と岩崎山砦で、中川清秀は四時間程防戦したが討死し中川軍は全滅したという。

説 明

大岩山砦は余呉湖の東岸にある標高280mの大岩山山頂に築かれている。

主郭は山頂にあり南北二段で北側には中川清秀の墓が建っている。周囲には部分的に土塁が付いており、東側には虎口がある。南尾根は遊歩道になっているが、もともと堀切もなかったようで、普通の坂道になっている。

遊歩道を南の賤ヶ岳砦方面に歩いて行くと首洗い池があり、中川清秀の亡骸を土民が谷に降ろして芝で覆い隠して守ったと伝えられるが、このとき清秀の首を洗ったのがの池だという。

気になる遺構はこの首洗池付近から主郭の北東尾根先にまで続く横堀状の地形である。この遺構は主郭部の東下を横堀となって通り、その先の尾根上に向かって斜めに斜面を通っている。この地形は城の遺構なのかはっきりしないが、村の境界線としては尾根上を分断するようになっておらず、山腹を上下しながら続いているのは不自然である。

案 内

北の岩崎山砦あるいは南の賤ヶ岳砦から尾根を通る登山道があるが、今回は東麓にある登山道から登った。登山口は国道365号線が賎ヶ岳サービスエリアの西で余呉川を渡るが、その橋の西詰から左折して麓を通る道沿いにあり入口の南側に駐車スペースがある。(地図)

登山道はしっかりしているが、山腹にあるお寺の所で道がわかりづらくなる。参道の石段下から西の谷沿いに登っていくとちょうど首洗い池に出る。

最寄り駅(直線距離)
1.6km 余呉駅
2.2km 木ノ本駅
5.3km 近江塩津駅
6.3km 高月駅
7.8km 永原駅
所在地/地図
滋賀県長浜市余呉町川並
付近の城(直線距離)
1.1km 近江 岩崎山砦
1.4km 近江 坂口砦
1.9km 近江 賤ヶ岳砦
1.9km 近江 田上山砦
2.3km 近江 余語館
2.4km 近江 神明山砦
2.6km 近江 茂山砦
2.7km 近江 堂木山砦
3.2km 近江 溝谷砦
3.5km 近江 菖蒲谷砦
3.6km 近江 田部山城
3.7km 近江 唐川城
3.9km 近江 東野館
3.9km 近江 東野山城
4.1km 近江 天神山砦
4.2km 近江 茶臼山砦
4.3km 近江 高尾山砦
4.5km 近江 今市上砦
4.7km 近江 磯野城
4.7km 近江 井口城
4.7km 近江 池原山砦
4.8km 近江 松尾山砦
4.8km 近江 西物部城
4.9km 近江 山寺山砦
最終訪問日
2012年10月
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