築城年代は定かではないが石川氏によって築かれたと云われる。 石川有光の弟基時が袖ヶ館城主となったのが始まりで、後に家臣の矢吹氏が城主を務めた。
天正17年(1579年)伊達政宗が須賀川二階堂氏を攻略すると、須賀川城は石川昭光に与えられ、矢吹薩摩守は須賀川城を務めたが、豊臣秀吉の奥州仕置きによって伊達政宗が岩出山に転封となると、石川昭光もこれにしたがって移った為、矢吹氏もこの地を去った。
袖ヶ館城は細長く北西から南東へ伸びた比高30mほどの丘陵の南端に築かれている。
南端部分に北側を横堀で区画した主郭があり、この部分が公園整備されている。ここから北西の尾根先に進むと古館があるが、途中には遺構はない。
南側の道路沿いに標柱と案内板がある。ここから矢印に沿って登って行くと公園に出る。車は案内板から西へ進んだ辺りにある余白に駐める事ができる。
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