築城年代は定かではない。館主は福田氏で天正年間(1573年〜1592年)には福田掃部が南部信直より一千石、元和4年(1618年)には福田治部が南部利直より五百石を給されていた。三戸南部氏が盛岡へ移った後は福田氏もそれに従ってこの地を去ったという。
福田館は馬淵川南岸の台地の上に築かれていた。
現在瑞泉寺の境内となっている部分が館の南西部にあたり、規模は南北170m、東西230m程であったという。かつては三重堀が巡らされていたようであるが、現在確認できるのは北側にある二重堀のみとなってしまった。
瑞泉寺の南側に案内板が設置されている。
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