築城年代は定かではない。館主は三百石を領した新堀作兵衛、あるいは五百石を領した北重左衛門直連と伝えられる。
北重左衛門直蓮は剣吉城主北氏の一族で、慶長20年(1615年)大坂夏の陣において巨額の金を持って大坂城に入城し、豊臣氏に味方した。しかし、大坂城が落城すると捕らえられ処刑された。北重左衛門が豊臣氏に味方したのは、主君南部利直の密命を帯びたからだと云われている。
森ノ腰館は馬淵川南岸の段丘の北端に築かれていた。県道134号線沿いに森ノ腰館の標柱と案内板があり、その近くに龍神様が祀られている。この龍神様の隣に北重左衛門直蓮の首塚がある。この辺りが館の南東隅であったようだ。