詳細不明。館主は上野氏と伝えられる。上野氏は法師岡館主小笠原氏の一族で、天正19年(1590年)九戸城主九戸政実が反乱を起こしたとき、櫛引城主櫛引清長や法師岡館主小笠原兵部とともに九戸氏に味方したという。
平館は馬淵川南岸の台地の北端部に築かれていた。『青森県の中世城館』によれば、北端の川に面して方形の曲輪があり、西から南側に堀があった。さらにその外側も曲輪で、南西側に堀があったようである。現在は畑となっているが、航空写真などを見ると方形区画の部分が残されているように思える。ただ、道路に近い部分の堀などは埋め立てられてしまったようで確認することはできなかった。