建武元年(1334年)南部師行によって築かれたと云われる。 根城南部氏は甲斐国巨摩郡南部郷出身で、北畠顕家が陸奥守に任ぜられ陸奥国に下向するとき、師行もこれに従って下向し、国代としてこの地に入り根城を築いたという。
延元3年・建武5年(1338年)和泉国石津で足利方の高師直との戦って、北畠顕家とともに南部師行は討死し、家督は師行の弟政長が継いだ。
康正2年(1457年)蛎崎城主の蛎崎蔵人が反乱を起こすと、南部氏は朝廷の許可を得て根城南部十三代政経がこれを討伐し下北を支配した。
永禄10年(1567年)十八代政栄のとき、櫛引城主櫛引弥六郎は名久井城主東政勝の助けを借りて根城を攻撃された。元亀2年(1571年)政栄は櫛引城を攻め櫛引氏の所領の一部を組み込んだ。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐で、三戸南部氏二十六代の南部信直が小田原参陣に参陣すると、嫡男直栄をこれに従わせ、政栄は留守を守った。その後、根城南部氏は三戸南部氏の家臣となっていった。
天正20年(1592年)秀吉の命によって南部氏領内にある城の整理が行われ、このとき根城も廃城となったとされる。寛永4年(1627年)根城南部氏は二十二代直義のとき、伊達氏との領地境を守る為に遠野に転封となった。
根城は馬淵川南岸の微丘陵に築かれている。現在は国指定史跡となり公園として整備されている。
根城は本丸、中館、東善寺館、岡前館、沢里館の五つの曲輪で構成されていた。このうち本丸、中館、東善寺館の部分が公園となっている。本丸は発掘調査によって検出された建物が復元されており、周囲には柵や空堀が巡らされている。
八戸市博物館に駐車場がある。
以下、訪問当時のものであり、変更されている可能性があります。
入場時間 | 午前9時-午後5時(入場は午後4時30分まで) |
休館日 | 月曜日(第1月曜日は除く・祝日と重なった場合は翌日、年末年始(12/27-1/4) |
根城の広場の料金 | 大人250円 高・大学生150円 小・中学生50円 |
共通券の料金 | 大人400円 高・大学生240円 小・中学生80円 |