築城年代は定かではない。
館主は小笠原兵部で櫛引氏の一族という。また一説に櫛引城主櫛引清長の弟清政とも伝えられる。
天正19年(1591年)九戸城主九戸政実が反乱を起こすと小笠原兵部は櫛引清長・清政兄弟とともに九戸氏に味方し九戸城に入った。その後法師岡館は根城の八戸弥六郎と中野館の中野氏の攻撃を受けて落城した。
南の月山神社側に『法師岡古戦場』の標柱があり、天正19年(1591年)櫛引清長と浅水館の南盛義・康政兄弟が戦い、南盛義・康政兄弟が討死した所という。
法師岡館は馬淵川南岸の北へ伸びた丘陵に築かれている。
『青森県の中世城館』によれば、東西150m、南北約350mの規模で南側が少し高いという。現在主郭部分は畑で立ち入り禁止の看板があり確認することはできない。 曲輪への登り口にある案内板の辺りには西側から南側を遮断している三重堀が残っている。
馬淵川を渡る県道から南東に少し入った所に案内板が設置されている。
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