建久2年(1191年)南部光行によって築かれたと云われる。 文治5年(1189年)南部氏は奥州平泉の藤原氏討伐の戦功によって源頼朝より糠部の地を賜った。南部光行は八戸浦を経て入国し、馬淵川に沿って登ってきた一行は日暮れとなったため、相内の観音堂で一夜を明かした。光行は観音堂が狭いので、近くの豪農助左衛門の家を仮の宿とし、領民の協力を得て一夜のうちに堀を巡らせた。このことから一夜堀館とも呼ばれている。
その後、南部光行は相内館が手狭となり、平良ヶ崎城を築いて移ったという。
相内館は馬淵川の北岸にあり、南へ張り出した微丘陵地の南端に築かれている。観音堂の北西にある高台が館跡で、南端に登り口がある。
この地にはかつて相内小学校があったという。現在は相内農村公園となっていて、神社があり、西側に土塁が残っている。
公園への入口は分かりづらいが、民家の脇を奥へ入って行くと南麓から細い道が付いている。車は観音堂の所に駐める事ができる。
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