築城年代は定かではない。城主は北氏で南部時実の子宗実の子孫を称し、三戸城の北に屋敷があったことから北殿と呼ばれるようになった。
北尾張守信愛は南部氏二十六代信直の擁立に公があり、その子利直にも仕えた。 慶長3年(1598年)信愛の二男で花巻城代となっていた北秀愛が没すると、北信愛が花巻城代を命ぜられ八千石を領した。
剣吉城は現在の剣吉小学校の所に築かれていた。大館と小館から成っていたと云われ、大館が本城、小館が居館と云われている。大館が小学校の地、小館は線路を挟んで東側にあったとされるが現在は宅地などとなっている。
剣吉城の遺構はまったく残っていないが、小学校の上には剣吉城址公園があり、展望公園となっている。
剣吉小学校の奥に剣吉城址公園の駐車場がある。
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