寛文4年(1664年)南部直房によって築かれた。寛文4年(1664年)盛岡藩南部重直が嗣子なく没した。通常嗣子なく没すると改易となる時代であったが、四代将軍徳川家綱の命によって新たに七戸重信(重直の弟)に盛岡八万石、中里直房(重直の庶子)に八戸二万石を与えられ、それぞれ立藩した。
初代南部直房は在任わずか数年の寛文8年(1668年)に没した。この死は盛岡藩南部氏による暗殺とも云われている。
天保9年(1838年)八代藩主南部信真のときに城主格に昇進した。九代藩主は薩摩藩の島津重濠から養子に迎えた信順が継ぎ明治に至る。
八戸城は本八戸駅の南方にある段丘の北端に築かれていた。
現在三八城公園や三八城神社となっている所が本丸で、本丸の東から南を囲むように二の丸があり、八戸市役所やおがみ神社の辺りである。本丸は東と南に虎口があり、二の丸は南東と南に虎口があった。
城跡はほぼ市街地となっており明瞭な遺構は見ることができない。本丸には初代藩主南部信房の像があり、公園入口に八戸城の案内板と石碑が建っている。街中には二の丸の標柱や八戸城本丸内濠跡の碑が建っている。
八戸南部氏の菩提寺が八戸市長者1にある南宗寺(地図)で、ここに八戸南部氏累代の墓がある。
角御殿表門(現存 城門)
東門(移築 城門)
八戸市役所の有料駐車場を利用。
最寄り駅(直線距離)