慶長2年(1597年)南部信直によって築城が開始された。豊臣秀吉の家臣となった南部信直は九戸の乱を鎮圧後、宮野城を改修して福岡城と改め居城とした。しかし、浅野長政などの進言を受け、慶長2年(1597年)不来方の地に築城することを決めた。
信直は嫡男南部利直を総奉行として築城を開始したが難工事であり、元和年間(1615年〜1624年)に福岡城から盛岡城へ移ったものの、度重なる洪水などの影響により、一時斯波氏の高水寺城を改修した郡山城へ移っている。再び盛岡城を修築して居城となったのは寛永10年(1633年)で南部重直の時代となっていた。以後、南部氏が代々続いて明治に至る。
盛岡城は中津川が北上川に合流する辺りに築かれており、現在は岩手公園として整備され国指定史跡となっている。
盛岡城の主郭部は南端の本丸から北へ二の丸、三の丸、下曲輪を配し、東に台所、本丸の南には淡路丸や腰曲輪を配している。主郭部は北端の下曲輪などの一部を除いて総石垣で築かれている。外郭は主郭部から北へ拡がり、外曲輪、遠曲輪があった。
盛岡城は城内に隣接して「もりおか歴史文化館」があり、盛岡城の復元模型なども展示されている。春は桜、秋はモミジなど色とりどりの木々が美しい近世城郭である。
裏門(移築 城門)
彦蔵(移築 倉庫)
「もりおか歴史文化館」の所に有料の地下駐車場、付近にも有料駐車場がたくさんある。
最寄り駅(直線距離)