築城年代は定かではない。米内氏代々の居城とされ、米内氏は安倍氏の庶流と伝えられる。
天正年間(1573年〜1593年)末期の当主は米内右近で、南部信直に従い日戸内膳・福士淡路とともに不来方城の警護にあたった。
城は高洞山から北へ伸びた尾根が畑井野沢に沿って北西に伸びた丘陵の先端に築かれている。
現在は畑として利用されているので旧状は不明であるが、主郭は東西65m、南北75mのほぼ方形で周囲に堀が巡っている。堀の外側は緩斜面でここも畑となっている。
手持の資料では単郭であるが、西側にも畑となった平坦地があり、北下も比較的平坦である。
上米内駅の北東にある丘陵が城址。北側の先端にある道から登ったが、畑へ農道も通じているようである。
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