築城年代は定かではない。伝承によれば正慶年間(1332年~1333年)に河村秀清が日戸村を与えられ、日戸氏を称したという。
日戸内膳秀恒は盛岡城築城の奉行並職を務めている。慶長13年(1608年)日戸直秀は野辺地城代として移り、日戸館は廃城となったという。
日戸館は日戸八幡神社のやや西側、西へ伸びた丘陵に築かれている。
上館、中館、下館という3つの曲輪群を空堀で区画している。上館は南側に土塁がついており、南側面には横堀も備える。
八幡神社前に駐車可能で案内板が設置されている。少し西へ戻ったところに入口がある。
最寄り駅(直線距離)