築城年代は定かではない。建武2年(1335年)伊達五郎宗政が「七戸之内野辺地の地」を賜ったが宗政が入部した記録は残っていない。
慶長3年(1598年)「館持支配帖」に「野辺地館二千石 石井伊賀」とあり、その後は小軽米左衛門続いて日戸内膳が城代となった。藩政時代には野辺地代官所が設けられた。
野辺地城は野辺地川の北岸に築かれている。現在図書館や歴史民俗資料館が建っており、野辺地代官所跡の碑がある。
代官所時代の図面によれば南の野辺地川を天然の堀として、北側中央に虎口を開き三方に堀を設けている。現在この堀の一部(南東部分)が残っているのみである。