築城年代は定かではない。天文年間の城主は雫石伯耆詮貞と伝えられ、斯波兵衛尉詮高の次男で雫石家の養子となった人物である。
天正14年(1586年)南部信直によって雫石斯波氏は滅ぼされた。
城は鳥泊山から南へ派生して小高くなった標高245mの八幡館山に築かれている。
現在山頂には鉄塔が建っている。山頂から南へ帯曲輪状の削平地が段々と築かれており、最下部は横堀となり、数条の竪堀が付随している。横堀は東側に向かって回り込んでいるが、途中で途切れ、その後また横堀となって続いてる。途中の部分は崩落によって埋没した可能性が有る。
国道46号線仁沢瀬橋東交差点を北へ曲り、山の麓を走る道を北東へ進む。八幡館山の東麓に案内板が設置されており、そこから頂部まで登山道が伸びている。
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