慶長6年(1601年)島津忠恒(のち家久)によって築かれた。 鹿児島城は背後の山城である上山城の麓に築かれた平城である。
加賀百万石に次ぐ七十七万石の大家でありながら居城は極めて質素で、天守も重層櫓も備えていない屋形造りの城郭であった。 しかし、島津家は領内の拠点に中世の城郭の麓に武家屋敷を配して町を形成し、"麓"と呼ばれる外城制を維持していた。
鶴丸城の愛称で親しまれている鹿児島城は、現在本丸が歴史資料センター黎明館で、二の丸がその南にある県立図書館、北側にある鹿児島医療センターは西郷隆盛によって作られた私学校跡である。
本丸の虎口は北と東にあり、東は桝形虎口で「御楼門」と呼ばれた櫓門があり、近年復元された。その北は多聞櫓、南には御角櫓があった。 石垣と水堀は北から東にかけて現存し、北東隅は鬼門除けで入隅になっている。