嘉慶元年・元中4年(1387年)島津元久によって築かれたと云われる。 島津氏は東福寺城を居城としていたが勢力が拡大するにつれ手狭となり清水城を築いて本拠を移した。
元久が没すると長子犬千代を推す伊集院頼久と元久の腹違いの弟久豊の間で相続争いがあり頼久によって清水城が焼き払われた。
天文19年(1550年)島津貴久のとき内城を築いて居城を移し廃城となった。
清水城は清水町学校の北背後に聳える標高128mの山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
主郭は南曲輪群と呼ばれている領域の北端で、北から西にかけて大空堀によって遮断され、南に広く段曲輪群を配している。大空堀から北に中曲輪群、北曲輪群と続いているが、このあたりは鉄塔などがあり、北端は土橋状の細尾根であるが堀切にはなっておらず、その手前の曲輪には土塁が残る。
清水中学校の東の道を北へ回り込んだ所に登山道入口があり案内板が設置されている。
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