築城年代は定かではないが谷山氏によって築かれたと云われる。 谷山氏は建仁3年(1203年)谷山信忠が郡司職となって以降、代々千々輪城を居城とした。
南北朝時代には南朝に属して島津氏と戦っている。応永4年(1397年)谷山氏は島津元久と戦って千々輪城を退去した。
千々輪城は慈眼寺駅の西に聳える標高49.7mの山に築かれており、現在は公園として整備されている。
西の山塊から東へ伸びた丘陵の先端に築かれた城で、東端の本城から西に弓場城、陣之尾と曲輪が続いていたようであるが、陣の尾の辺りは車道が貫通しているようである。
本城は公園となっており、北から東に掛けて土塁が巡り、北東に神社が祀られている。
北の道路沿いに入口があり案内板が設置されている。
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