築城年代は定かではないが天正年間(1573年〜1592年)に阿曽沼広郷によって築かれたと云われる。 阿曽沼広郷は代々遠野保を領し横田城を居城としていたが、猿ヶ石川の度々の氾濫に川向かいに住んでいる諸士の往来に不都合であったため、鍋倉山に新城を築いて移った。この新城も横田城と称していたが、南部氏の治世となって鍋倉城と改称された。
慶長5年(1600年)広郷の子広長のとき、南部利直に従って山形に出陣中に一族で鱒沢城主である鱒沢広勝の謀叛によって遠野を乗っ取られ、以後南部領となった。(詳しくは横田城を参照。)
寛永4年(1627年)八戸から南部直義が遠野に約一万石で転封となり、城を改修して城下町を整備した。このとき横田城から鍋倉城へと改称した。
直義は南部家の重臣として盛岡に居ることが多かったため、先代で養母である清心尼が遠野の政治に関わることが多かったようである。以降、八戸南部氏(遠野南部氏)が代々続いて明治に至る。
鍋倉城は遠野市街地の南方に聳える標高343.9mの鍋倉山に築かれており、現在は鍋倉公園として整備されている。
鍋倉城は最高所の本丸、南に二の丸、東下に三の丸を配し、三の丸から二の丸を繋ぐ馬場などがあった。本丸は東に大手、西に搦門跡があり、二の丸は遠野南部家の墓所、三の丸には櫓を模した展望台がある。
北麓の市立博物館脇から南部神社の前を通って山へ続く車道があり、その終点が三の丸。
最寄り駅(直線距離)