美濃 垂井城みの たるいじょう
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築城年代は定かではない。 慶長5年(1600年)平塚為広が一万二千石で垂井を領して垂井城を居城とした。しかし、その直後に勃発した関ヶ原合戦で西軍につき討死した。
現在の専精寺周辺が城址で石碑と案内板が建つ。 日本城郭体系での垂井城(316)は、その前身である日本城郭全集の記述から長屋氏屋敷のことを指していると思われる。
関ヶ原合戦の大谷吉継陣の近くに城主平塚為広の碑が建っている。(写真は大谷吉継陣を参照。)