慶長10年(1605年)徳川家康によって築かれた。 将軍が上洛するさいの休憩施設で、家康は三回利用し、大坂夏の陣の後には徳川秀忠が利用している。
寛永5年(1628年)天領となってからは建物の大半が壊され、寛永12年(1635年)頃には内部は御殿のみが残されていたという。
お茶屋屋敷は赤坂中学校の東側一帯に築かれている。県指定史跡で内部は牡丹園となっているが個人宅などもあり、立ち入り禁止の部分のもあるので散策には注意が必要である。
複郭であったようだが、今残っているのは主郭の部分で学校になっている西側を除く三方に堀と土塁が残されている。
この辺りは中山道赤坂宿で古い街並みも残っている。それによってこのお茶屋屋敷付近も道が狭く注意が必要である。車の場合、赤坂中学校の北側の道から入るのが無難で、中学校の東側、正安寺横に専用の駐車場がある。
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