築城年代は定かではないが加藤氏によって築かれた。 六之井加藤氏は甲府城主加藤光泰の二男加藤遠江守光直を初代とし、黒野藩主から伯耆国米子藩主初代加藤貞泰は兄にあたる。
光直は関ヶ原合戦で東軍に属して首級を挙げた功によって美濃国大野郡公卿村に三千六百四十一石を領して旗本となった。六之井加藤氏は光直の後は、泰直・泰和・納泰・泰宣・泰栄と続いている。
六之井陣屋は現在の六之井北公民館付近に築かれていたが、遺構は残っていない。
六之井陣屋の門が揖斐郡大野町大字公郷にある月真寺の山門として伝わっていますが、ここには「加藤平内の墓」と「竹中重元の墓及び五輪塔」(いずれも大野町史跡)があります。この加藤平内は初代加藤光直の事だと思いますが、肝心のお墓がどこにあるのかさっぱりわかりません。
表門(移築 城門)