慶長5年(1600年)西尾豊後守光教によって築かれた。 関ヶ原合戦の功により一万石を加増され、三万石を利用して曽根城より移り、揖斐城の南麓に築いたのが始まりである。
西尾氏は光教の後、外孫の嘉教が家督を継いだが、元和9年(1623年)嫡子なく断絶となった。
その後、西尾氏の三万石の所領は天領となり、岡田将監善同が美濃の代官として管理した。岡田氏は五千石の旗本で、西尾氏の揖斐城址に陣屋を構えて天領を管理し治水に力を注ぐなど尽力した。
揖斐陣屋は中世揖斐城のある城台山の南の麓に築かれていた。 明治まで存続していた陣屋であるが、維新後陣屋は壊され水田や宅地となって現在遺構は残っていない。
揖斐小学校の東にある竹中医院の東隣に揖斐陣屋の石碑が建っている。