築城年代は定かではないが戸田氏道によって築かれた。 大垣藩戸田氏の初代氏鉄の六男氏照が四千石を分知され、牛洞戸田氏の祖となった。 この氏照の子氏胤のとき、弟氏道に五百石を分知して深坂陣屋を築いたのが深坂戸田氏の祖となった戸田氏道である。
深坂戸田氏は五百石の旗本として六代続き、幕末の六代当主戸田伊豆守氏栄は、浦賀奉行を務め、開国を求めて浦賀に来航したペリー提督と会見し、その後大坂奉行に出世したが、毒殺された。
深坂陣屋は城ヶ峰の南東の麓、谷間の集落の一番奥に築かれている。 門跡と見られる開口部の石積は西側がやや南に突き出し、ここに標柱が建っている。
近くの円立寺は深坂戸田氏の菩提寺で、初代の父氏照から六代氏栄までの位牌が安置され、山門は深坂陣屋の門を移築したものと云われる。
表門(移築 城門)
県道251号線小野坂トンネルの東側にある円立寺を目指す。陣屋はこの円立寺から県道を西へ少し歩くと小川に架かる小さな橋がある。その西側に北の山麓に続く細い道があり、これを奥まで進んでいくと山林の中にある。
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