慶長5年(1600年)関ヶ原合戦の功によって一万石を領した織田長孝が野村藩を成立させ織田河内守邸を築いたが、寛永8年(1631年)長孝の子織田長則が嗣子なく没して改易となった。
明暦元年(1655年)大垣藩主戸田氏信が弟戸田氏経に新田の四千石を分地し、自身の封と合わせて六千二百石の旗本となった。元禄元年(1688年)には戸田氏成が新たに三千石の新田を大垣藩より分地され、一万石を領し大垣新田藩(畠村藩)として諸侯に列し、三河国畠村陣屋を構えた。明治2年(1869年)戸田氏良の時に三千二百石の加増があり、陣屋を美濃国野村に移し野村藩となったが廃藩置県により野村県となった。
野村陣屋は野集落の北側一帯に築かれていた。ちょうど布賀利八幡神社の北側に大手門跡があり、そこに案内板が建っている。現在の北側の集落を巡る水路がそのまま堀跡で、土塁の一部が残っている。また、南側の集落内にある民家に総門と藩庁門が移築現存しているが、総門は見つかったのだがもう一つの門の場所はわからず。
総門(移築 城門)