美濃 文殊陣屋みの もんじゅじんや
△トップに戻る
寛文8年(1668年)加納藩(松平)戸田光永が家督相続のときに弟に光正に五千石を分知し、文殊戸田家が興った。このとき光直にも同じく五千石が分知され北方戸田家となっている。
文殊戸田家は光正、光輝、光政、光典、光智、光陽、逸、光田、光利、光顕と続いて明治に至る。
文殊陣屋は本巣小学校の東に築かれていた。「ふるさと活動センター」というプレハブが建っている敷地が陣屋跡で片隅に文殊陣屋の石碑がある。
陣屋の東にある照空寺が文殊戸田家の菩提寺で、墓地の最上段に戸田家の墓が残る。
表門(移築 城門)